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2016 19:39:05
歩く。を考える
生まれて泣いている状態から、段々に物に手を伸ばしたり、人に対して笑いかけてみたり寝返りしたり、ハイハイしたりしながら赤ちゃんは成長していきます。
その中でも「歩く」というのは、大きな成長の証じゃないですか?
障害によって歩けないとなればなおさらのことです。
特に理学療法士の仕事は、障害を持たれた方や子供に対して歩く・立つといった運動の専門家。という認識がされています。
そんな理学療法士をしている自分が『歩く』ことを考える時に、意識している事があります。

例えば、
歩きやすいか?怖くないか?
転ばないように歩けるかといった所です。
例えば、足首をけがして、かばって歩くことを想像してください。
その状態で1キロ、2キロも歩くと、全身のどこかに痛みや筋肉痛のような症状が出てきます。
かばって歩くことは、どこかに症状をもたらします。
効率自体はどうしても悪くなってしまいます。
まして、そこには普段よりも転ばないようにバランスが求められます。
集中した状態で1キロ2キロ歩くのは容易なことではありませんよね。
本当は、そこまでして歩くことを優先する状況があることも考えなくてはならないんですけどね…。
どのくらい長く歩けるか?といった所です。
歩く距離を考えるとき、その子、その人の生活の範囲を考える必要があります。
いくら長く歩けても家に帰ると長くても200m歩ければ用が足りるとなると、その人に必要な距離は200mと言うことになります。
いかにその200mをスピードを速く、または、近所の人に見られてもいいような歩き方といった方に目標は変わってくるかもしれません。
ですが、量を歩けることは全身の持久力を高める健康面にも影響するのも事実です。
実験によっては、歩行スピードと寿命の関係も示されているものもあります。
歩いて「何がしたいのか?」です。
特に『目的』ですが、ここが子供に関わるときに重要だと考えています。
もし、子供に「なんで歩くのが大事なの?」なんて言われたときに、なんて言いますか?
意外と言葉に詰まりませんか?
自分は、「歩く」を考えた時に【移動する為の手段】というのが一つと考えます。

例えば、子供が全身に力を入れて蹴るように進む動作。
めちゃくちゃ全身使って頑張ります。
体の使える部分が限られた中で、コントロール出来る部分をフルに使って酷使します。
常に100%を出して生活するように人は動きません。
使いすぎると燃え尽きてしまいます。
関わっている側も、その子がめちゃくちゃ頑張ってるけど、思うように効果が出ない。
焦る。そして、見ていて辛くなってきてしまいます。
段々にその子よりも、関わっている自分との闘いのようになっていきませんか?
だからこそ、1つ視点を変えて、「歩く事を移動する為の手段」と捉える必要があるかも知れません。

例えば、私たちも、移動距離が遠いと自動車を使って移動するように効率がいい物を選択します。
仕事場に移動するときに『歩けるから歩いていこう!』とはなりませんよね?
仕事場に行くまでにへとへとになっては意味がありません。
子供に置き換えてみます。
移動に全力投球して、やりたい事や遊びたいことをやれる力が残ってないのではは元も子もないです。
そうなると、移動距離、場所に応じて歩くのか車椅子を使うのかといった、場面ごとの移動方法を考える事に繋がるかもしれません。
車椅子等で移動することで、歩行する時よりも移動距離が伸びたり、移動が楽なので環境の変化が捉えやすくなったりすると、
空間認識系の機能が上がるかもしれません。
記憶面への影響に繋がるかもしれません。
もちろん、歩く事を諦めている訳ではありません。
移動として捉えた時に
歩く10年。
車椅子と歩くことで過ごした10年。
色んな時間の過ごし方があります。
割合やその子にどれだけ移動の意味を作ってあげられるのか。
色んな考え方や関わり方があると思います。
成長を支える上で、移動の目的を考えるというのも子供の将来を考える上ですごい大切な要素だと思います。
その中でも「歩く」というのは、大きな成長の証じゃないですか?
障害によって歩けないとなればなおさらのことです。
特に理学療法士の仕事は、障害を持たれた方や子供に対して歩く・立つといった運動の専門家。という認識がされています。
そんな理学療法士をしている自分が『歩く』ことを考える時に、意識している事があります。

歩行の質
例えば、
歩きやすいか?怖くないか?
転ばないように歩けるかといった所です。
例えば、足首をけがして、かばって歩くことを想像してください。
その状態で1キロ、2キロも歩くと、全身のどこかに痛みや筋肉痛のような症状が出てきます。
かばって歩くことは、どこかに症状をもたらします。
効率自体はどうしても悪くなってしまいます。
まして、そこには普段よりも転ばないようにバランスが求められます。
集中した状態で1キロ2キロ歩くのは容易なことではありませんよね。
本当は、そこまでして歩くことを優先する状況があることも考えなくてはならないんですけどね…。
2.歩行の量
どのくらい長く歩けるか?といった所です。
歩く距離を考えるとき、その子、その人の生活の範囲を考える必要があります。
いくら長く歩けても家に帰ると長くても200m歩ければ用が足りるとなると、その人に必要な距離は200mと言うことになります。
いかにその200mをスピードを速く、または、近所の人に見られてもいいような歩き方といった方に目標は変わってくるかもしれません。
ですが、量を歩けることは全身の持久力を高める健康面にも影響するのも事実です。
実験によっては、歩行スピードと寿命の関係も示されているものもあります。
歩行の目的
歩いて「何がしたいのか?」です。
特に『目的』ですが、ここが子供に関わるときに重要だと考えています。
もし、子供に「なんで歩くのが大事なの?」なんて言われたときに、なんて言いますか?
意外と言葉に詰まりませんか?
自分は、「歩く」を考えた時に【移動する為の手段】というのが一つと考えます。
移動手段として考えてみる

例えば、子供が全身に力を入れて蹴るように進む動作。
めちゃくちゃ全身使って頑張ります。
体の使える部分が限られた中で、コントロール出来る部分をフルに使って酷使します。
常に100%を出して生活するように人は動きません。
使いすぎると燃え尽きてしまいます。
関わっている側も、その子がめちゃくちゃ頑張ってるけど、思うように効果が出ない。
焦る。そして、見ていて辛くなってきてしまいます。
段々にその子よりも、関わっている自分との闘いのようになっていきませんか?
だからこそ、1つ視点を変えて、「歩く事を移動する為の手段」と捉える必要があるかも知れません。
自分はどうか

例えば、私たちも、移動距離が遠いと自動車を使って移動するように効率がいい物を選択します。
仕事場に移動するときに『歩けるから歩いていこう!』とはなりませんよね?
仕事場に行くまでにへとへとになっては意味がありません。
子供に置き換えてみます。
移動に全力投球して、やりたい事や遊びたいことをやれる力が残ってないのではは元も子もないです。
そうなると、移動距離、場所に応じて歩くのか車椅子を使うのかといった、場面ごとの移動方法を考える事に繋がるかもしれません。
さいごに
車椅子等で移動することで、歩行する時よりも移動距離が伸びたり、移動が楽なので環境の変化が捉えやすくなったりすると、
空間認識系の機能が上がるかもしれません。
記憶面への影響に繋がるかもしれません。
もちろん、歩く事を諦めている訳ではありません。
移動として捉えた時に
歩く10年。
車椅子と歩くことで過ごした10年。
色んな時間の過ごし方があります。
割合やその子にどれだけ移動の意味を作ってあげられるのか。
色んな考え方や関わり方があると思います。
成長を支える上で、移動の目的を考えるというのも子供の将来を考える上ですごい大切な要素だと思います。
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